2014年6月23日月曜日

串良海軍航空基地 地下壕電信司令室跡 ③ お話を伺う



串良海軍航空基地




地下壕電信司令室




貴重な近代遺跡が残されている。








神風特別攻撃隊




御霊安らかに





串良基地からも練習機である白菊ですら爆弾を抱え出撃した。





地下壕を出る。




消灯し鍵をかけた。




壕の地上に見えている部分は僅か。




七十有余年の歳月が経った。




上は均してないのか。
玉砂利が見える。




登ってみた。




高さは3m弱ほど。












分厚いコンクリートやなぁ。




とても程度が良い。
軍艦島にしても古いコンクリートの方が残ってる。







地下はあんなに広いのに地上にはこれだけしかない。




入口と・・




その後ろ。

そこからもう地下に潜ってる。




降りる。




住民の方にお話を伺った。


この土地を購入されたおじいさんはもう亡くなられ
おばあさんも高齢でしたが
その娘さんが対応してくれました。

とてもきさくな方で良かったです。


昔このあたりは串良海軍の飛行場で
戦後、分割して売りに出されたそうです。

おじいさんは奄美大島の出身でしたが
戦後はアメリカ軍が占領して帰れなくなって霧島に住んでいた時に
親戚が近くに居る事もあり
軍の払い下げのこの土地を買ったそうです。


しかもわざわざこの地下壕の土地を。


畑とかするのに邪魔になるので誰も買い手が付かなかったこの土地を。


戦後の日本は戦時中のを負の遺産として
ことごとく破壊していった。
東北の人たちが津波の痕跡を見るのが嫌なのと同じ様な気持ちでしょうか。


それて国が爆破するという話が来たのだけど
おじいさんが強固に反対した。

戦争の記憶を伝える物が無くなることを危惧して
未来に託したそうです。

そして前町長が十数年前に電気を引いたり看板を立てたり熱心に整備して
現在に至るそうです。






あの畑の向こうの道が滑走路だったそうです。

貴重なお話ありがとう御座いました。



しかし

363名もの若い命を散らした特攻基地なのに・・

周辺には少ししか残ってない。




こんな貴重な近代遺跡をなぜ市や県は保存に向かわないのかが分からない。

観光遺跡にもなるのになぁ。


串良町(くしらちょう)は周辺の鹿屋市輝北町吾平町2006年1月1日に合併(新設合併)し、
新たに鹿屋市となったそうです。

鹿屋市は鹿屋航空基地には熱心やけど、合併した串良の事は考えていないようです。




ありゃま市の車が止まってた。




そんなんじゃならんでぇ....アホボケカスとは言いませんでした。
関西弁でペコリ。




尋ねる際は民家の敷地という事をお忘れなく。











学校で教えない事がある。




串良基地から飛び立った少年戦士の出撃


来年は出水基地にも足を運びたいなぁ。
http://washimo-web.jp/Trip/Izumikichi/izumikichi.htm






普段から色々考えないとイケマセン。








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